tiadです。
久しぶりの帰省。実家に帰る度、彼女はできたか、結婚はまだか、孫の顔はいつ見せてくれるんだとか言われて辟易してませんか?
tiadも親が直接ではないですが、周囲に「孫の顔を見るまで死ねない」
そう言っていたと聞きました。
tiadは長男で、地元はいわゆる田舎of田舎の出身。親にはカミングアウトしていません。
今回は家族へのカミングアウトに関してtiadなりの持論をまとめます。
結論 ずっと言わなくていい
結論はずっと言わなくていいです。
今後も実家に帰る度そういうことを言われて嫌な気分になるなら実家から遠のこうかなと思います。
今の所あまり言われないので問題ないですが。
孫の顔を見るまで死ねない。
そう言われた時、tiadは正直ドキッとしました。
この先も一生(たぶん)孫の顔は見せてやれないな、親不孝だな、って。
正直ちょっと落ち込んだりもしましたが、よくよく考えてみると、親のために生きるのってそんなに大事でしょうか?
家族と言えどもお互いに他人。
もちろん家族は確かに大切です。でも、必要以上に深く関わる必要もないと思うんです。
事情によりけりだけど、ある程度の年齢まで同じ家で過ごして、親には育ててもらって、深く関わってきたのは事実ですが、独り立ちすれば自ずと考え方も違ってきますし、お互いに受け入れられないことが出てくるのも当然です。
そんなに子孫を残すことが大切でしょうか?
というかそもそもそんなに後世のことが気になるのでしょうか?tiadはそんなこと気にするより自分自身の今日と明日を楽しみたいです。
どこかでDNAは引き継がれるのです。
それで十分でしょう。大事なのは自分の世代を謳歌することだと思います。
カミングアウトするという選択肢
どうしてもモヤモヤするのならカミングアウトするという選択肢もあります。
tiadはたぶんしませんが。
なぜなら彼女は?結婚は?孫は?と言われても適当にはねのけるからです。
それで喧嘩になっても、疑いをかけられても構いません。
家族のことは大事です。でもそれ以上に自分自身のことがいちばん大切です。だから自分を否定するものははねのけます。
だって例え色々言われて、じゃあ女性と結婚します、子供を作ります。
なんてことは全く考えられません。
なぜならそれで自分が幸せとは到底思えないからです。
でも、何かの拍子で言わざるを得ない環境に置かれるかもしれません。しかも受け入れられないかもしれません。tiadの親はいわゆる昔の人タイプなのでたぶん受け入れないでしょう。
でもいいんです。
受け入れられなくても大丈夫です。
僕には同じセクシュアリティを持った親友と呼べるような友人が居ます。
ストレートの友人がいます。恋人もいます。それで十分です。
これを読んでくれているあなたも自分のことを大切にしてくれるあの人を大切にしましょう。
少なくとも自分のことを受け入れてくれない相手のことで気を揉むのは時間があまりにももったいないです。
家族は家族、でも他人であることに変わりありません。
全然違う環境・立場にいる他人です。お互いに受け入れられないこともあります。
悲観するのは辞めましょう。
そして家族に期待しすぎるのも辞めましょう。
家族は大切、でも他人です。
最終的には、本当に子供を思う親なら子供がいちばん幸せでいてくれることがいちばんの幸せになるでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
家族も他人だと言ったりしていますが、tiadは昔は必要以上に家族のことを大切にしていました。
大切にしていたというよりも、大切にする心を持たなきゃと自分に言い聞かせていました。
その時はカミングアウトについても考えましたし、こんな自分を受け入れてくれるだろうか、子孫残せねぇやばい。とか思ったりもしました。
決して家族をないがしろにしろと言っている訳ではありません。
でも家族は家族という形態だけど他人なんです。
大切なのは自分自身。去るもの追わず、自分の今日を生きることをおすすめします。
もしゲイであることで、家族との関わりについて悩んでいる人がいたら、少しでも、すこーしでも心が軽くなれば幸いです。
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tiadでした〜。