雑談

マジで幸せは勾配によって生まれる相対的なものだと思うって話

tiadです。

最近ひしひしと感じていることがあります。

それは、以前は幸せだ〜!楽しいな〜と感じていたことが、当たり前になってしまって以前のように感動することが無くなってきたこと。

それを踏まえて今日は、幸せって絶対的なものじゃなくて、相対的なものだよね。ってことをつらつらと書いてみようと思います。

まずは具体例を挙げてみます。

例えば一人暮らし

一人暮らしって、実家暮らしの人はとても憧れませんか?

或いはそこまで憧れていなくとも、実際に一人暮らしを始めたあなた、とても快適だと思いません?

ご飯の時間も自由だし、お風呂の時間も自由、なんてたって門限も無いし、友達や彼氏彼女だって呼べちゃう。

超絶楽しいじゃないですか。

でも、一人暮らしを始めて数年も経てば、いつの間にかそれも当たり前になっちゃうんですよね。

なので、特に特別というわけでもなく、生活の一部になって、すっかり自由という意味では不自由な生活なんて忘れちゃいます。

そんでもって、不自由な生活を忘れたから、こんなに楽しみを感じで幸せだと思ってた自由にできることに対しても、以前ほど幸せを感じなくなってしまいます。

初めての旅行・飛行機

初めて旅行したときのこと、覚えていますか?

初めて新幹線に乗ったときや飛行機に乗ったとき、ワクワクしましたよね?

それが社会に出てみるとどうでしょう。

ある程度自由に出来るお金も稼ぐようになってくると、新幹線はもちろん、飛行機も乗れちゃうし、国内旅行くらいなら割とすぐにいけちゃいます。

仕事で出張にいくこともあるでしょう。

昔は入念に計画を立てて、何日も前から楽しみにしていた旅行も、徐々に慣れてきて、飛行機なんかはむしろ長くて嫌だなーと感じ、離陸のときも着陸のときも景色を見ることもせず、機内のサービスにどのドリンクを選ぼうかワクワクする喜びも減り、旅行先のホテルに感動する大きさも昔に比べると減ってしまいます。

書いてて悲しくなってきた笑。

初めての飲み会

初めての飲み会。あなたはお酒に酔うことの楽しさ、覚えていますか?

あの人は酔ったらどうなるんだろう?
大人は飲み会をよくしてるけど大人があんなに楽しそうにしてる飲み会ってどんなんだろう?

興味津々で初めての飲み会に参加したのを覚えています。

今となってはもはや習慣。

それでもお酒が大好きなtiadはまあまあ楽しさを保ててはいる
けれど、最初ほど特別感は感じていません。

新しい仕事

新卒で入った会社(あるいは転職したて)。
最初はなれないことばかりで苦労が多い新しい仕事。

それでもやっぱり複数回転職してきて思うのは、始めの頃こそ、どうやったらいちはやく仕事をこなせるようになるか、覚えていくのか、毎日が工夫と挑戦の繰り返しで、とてもクリエイティブな日々だったなぁと思います。

新しいことを学ぶ喜びは意外と大きいもの。
それを感じたくて、もしかすると転職を繰り返しちゃうのかもしれません。

”変わる”時に幸せの勾配を降りていく

ざっと具体例を挙げてみたわけですが、勘の良い方はお気付きの方もいることでしょう。

そう、以前は幸せを感じていたことは、何かの状態から変化するタイミングです。

実家暮らしから一人暮らしに変化するタイミング、お酒を飲んだことがない自分から初めてお酒を飲む自分に変化するタイミングなどなど、我々は変化する時に幸せを感じることがわかります。

そして、幸せの勾配を降りていく前の、いやだなぁと思っていた気持ちが大きければ大きいほど、高い勾配で登っていて、そこから何かしらの変化のタイミングで勢いよく降りていくと感じる幸せもより大きい。

そんな気がしませんか?

転職したての頃、前職では平日に飲むなんて、毎日遅くまで仕事して疲れ切って、翌日も朝5時に起きないといけないと考えると、とてもじゃないけど出来ませんでしたが、次の職場では定時には帰宅できる。

寝るまでにこんなに時間がある!翌日もバカみたいに早起きしなくていい!毎日平日でも飲みいける!幸せ!って感じで過ごしていました。

でも転職して数年経った今ではそんな感動も薄れに薄れ、もはや勾配はなくて直線状態。

別の言い方をすれば、よく人生はいいこともあれば悪いこともある、とか辛いことの後に幸せがやってくる、みたいな感じだと思うんです。

人生を謳歌するためには常に変化が必要

ということで、tiadは変化するのがとても好きです。

多分言い換えると飽き性なんだと思います。

良い方に言い換えるとチャレンジ精神旺盛とか、そんな感じ。

でも、その方が感じられる幸せが人生でたくさんあるんだから、楽しいと思いませんか?

現状維持は退化、ではないけれども、どんなに年を取っても迷わず好奇心の赴くままにチャレンジできる気概を持っていたいものです。

急速にイノベーションが進んでいる昨今では、ビジネスにおいて変化していかないと生き残っていけないみたいな、ビビるような言い回しがあるけど、変化していかないとそもそも自分が楽しくない、っていうエモーショナルな部分でも当てはまることだと思います。

変化しない幸せもある

とはいえですね、変化しなくても幸せであることもあると思うんです。

それは周囲に居てくれる恋人や友人、家族の存在です。

もちろん各人が人生を歩んでいく中でアップデートしていく変化はあってしかるべきだけれども、自分との繋がりがずっとあるという意味では変化していないですよね。

でも、これも1つの幸せだと思うんです。

自分の周りにいてくれる人が、ずっと居てくれるとは限りません。

現状を当たり前のこととせず、自分と一緒に居てくれることに、変化のない関係を保ってくれていることに、自ら勾配をつけて幸せを感じたいですね。

なので、tiadは時々、自分が人生を終える最後の時をよく想像します。

その時、周囲の人になんて声を掛けるだろうかって。そうすると必ず出てくるのは感謝の気持ち、言葉なんですよね。

人生の終わりをリアルにイメージすると、現状の変化しない人間関係に感謝できるようになります。それですぐに思い浮かんだ人に連絡を取って、感謝の気持ちをそのまま伝えます笑。

ちょっと小恥ずかしい気持ちになるときもありますが、もし伝えられないまま死んでしまったりしたら、悲しいですよね。現実にそれが起こる可能性は0ではないのです。

現状を客観視して、内から湧く感謝の気持ちでいっぱいになると、それだけで幸せを感じることができます。

まとめ

ということで幸せは絶対的なものじゃなくて浮き沈みによる勾配の大きさで感じる相対的なものじゃない?ねぇ。って話をしました。

だからこそ、常に変化をし続けることが幸せを感じる手段である、でも変わらない幸せもある。後者を享受するには現状を当たり前と思わず感謝の気持ちを持つことで達成できる。

的な話でした笑。

tiadでした〜。